ただの日記です。
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ツイッターに、国歌に対する起立について批判をする人がいるので。
反論してみたらそこでだまりこくりやがる。
「君が代は君主による支配を賛美しているから、民主主義である日本において国民全体の奉仕者である公務員が歌うべき歌ではない」
とのこと。
ここで、君が代の歌詞を見てみましょう。
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌となりて
こけのむすまで
「君」とは言わずと知れた「天皇」のことです。
この歌詞を読むと、
「天皇の御代が、小石が集まって大きな岩になり、そこに苔が生える日まで、末永く続きますように」と歌っているようです。
現行日本国憲法の第一条にはこうあります。
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
この規定から考えても、日本国の象徴たる天皇の代が長く続くように、ということは、日本という国が末永く続くことを祈っていると解釈するべきなのです。
また、「君が代が君主による支配を賛美しているから民主主義に相応しくない」という主張も、その時点で成り立っていないことが、少し考えればわかります。
イギリスには女王陛下がいらっしゃいます。いわゆる君主です。
「立憲君主制」という国ですね。
そして内閣を持つ、民主主義の国です。
その民主主義国家であるイギリスの国歌は、このように歌っています。
God save our gracious Queen
神よ、我らが慈悲深き女王陛下を守り給え
まさしく、君主を賛美する歌詞ですよね。
しかし、なんども言うようですが、イギリスは日本と同じ「民主主義国家」です。
「国王は君臨すれども統治せず」という、儀礼的で象徴的な君主をもつ国です。
すなわち、民主主義と、君主を称える国歌は、微塵も矛盾しないのです。
日本も、天皇が国の象徴として存在している限り同じことなのです。
もう一つ、気になっているのは。
君が代に対する起立を拒否している人たちは、
「君が代という歌」が嫌いなのか、「国歌に起立するという国際的マナー、常識そのもの」が嫌いなのか。
後者なら論外ですね。儀式における当然のマナーを拒否しているというわけですから、教職員やめたらいいと思います。
前者は、多少なり理解することはできます。歴史的背景を鑑みて、君が代に抵抗を示す人は決して少なくはないでしょう。
しかし、それでもあくまで個人的な感情であり、個人的な思想です。
教育の場であり、儀式の場である卒業式や入学式で、国際マナーに逆らう理由にはなりませんよね。
以上、国歌起立に対する批判への反論でした。終わり。
なお、この主張は君が代という曲そのものに対する批判を全面的に弾圧し、意見を主張する権利を否定するものではありません。
自分としても、国歌を歌いながら戦った戦時に関して抵抗がある、また君が代が音楽的にあまり好きではない人などが少なからずいらっしゃることは承知しており、議論はなされても良いと考えています。
反論してみたらそこでだまりこくりやがる。
「君が代は君主による支配を賛美しているから、民主主義である日本において国民全体の奉仕者である公務員が歌うべき歌ではない」
とのこと。
ここで、君が代の歌詞を見てみましょう。
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌となりて
こけのむすまで
「君」とは言わずと知れた「天皇」のことです。
この歌詞を読むと、
「天皇の御代が、小石が集まって大きな岩になり、そこに苔が生える日まで、末永く続きますように」と歌っているようです。
現行日本国憲法の第一条にはこうあります。
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
この規定から考えても、日本国の象徴たる天皇の代が長く続くように、ということは、日本という国が末永く続くことを祈っていると解釈するべきなのです。
また、「君が代が君主による支配を賛美しているから民主主義に相応しくない」という主張も、その時点で成り立っていないことが、少し考えればわかります。
イギリスには女王陛下がいらっしゃいます。いわゆる君主です。
「立憲君主制」という国ですね。
そして内閣を持つ、民主主義の国です。
その民主主義国家であるイギリスの国歌は、このように歌っています。
God save our gracious Queen
神よ、我らが慈悲深き女王陛下を守り給え
まさしく、君主を賛美する歌詞ですよね。
しかし、なんども言うようですが、イギリスは日本と同じ「民主主義国家」です。
「国王は君臨すれども統治せず」という、儀礼的で象徴的な君主をもつ国です。
すなわち、民主主義と、君主を称える国歌は、微塵も矛盾しないのです。
日本も、天皇が国の象徴として存在している限り同じことなのです。
もう一つ、気になっているのは。
君が代に対する起立を拒否している人たちは、
「君が代という歌」が嫌いなのか、「国歌に起立するという国際的マナー、常識そのもの」が嫌いなのか。
後者なら論外ですね。儀式における当然のマナーを拒否しているというわけですから、教職員やめたらいいと思います。
前者は、多少なり理解することはできます。歴史的背景を鑑みて、君が代に抵抗を示す人は決して少なくはないでしょう。
しかし、それでもあくまで個人的な感情であり、個人的な思想です。
教育の場であり、儀式の場である卒業式や入学式で、国際マナーに逆らう理由にはなりませんよね。
以上、国歌起立に対する批判への反論でした。終わり。
なお、この主張は君が代という曲そのものに対する批判を全面的に弾圧し、意見を主張する権利を否定するものではありません。
自分としても、国歌を歌いながら戦った戦時に関して抵抗がある、また君が代が音楽的にあまり好きではない人などが少なからずいらっしゃることは承知しており、議論はなされても良いと考えています。
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プロフィール
HN:
フォルテ
年齢:
30
性別:
男性
誕生日:
1993/07/01
職業:
高校一年生
趣味:
音楽映画パソコンゲームと画像収集
自己紹介:
府内某公立高校在籍。
ぶっちゃけ、留年の危機。
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